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じゅえりーいはらの社長のとみおちゃんです
じゅえりーいはらの職人井原一成です
事務担当 松永さん
ネックレスの糸替え等 担当
じゅえりーいはらの社長のとみおちゃんです
じゅえりーいはらの職人井原一成です
じゅえりーいはらってどんなお店?

 
はじめまして、じゅえりーいはらの社長、井原富生です。


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東大阪の布施の商店街で商売をはじめて28年です。
たくさんのお客様、職人さん、問屋さんのおかげで、商いをさせていただいております。


40年近く前になりましょうか?私は若かりし頃、布施の万代百貨店の中のトクヤという宝石店で勤めていました。師でもあり社長であった親方に宝石屋として育てていただきました。親方の実家は西区江戸堀ちょうど靱公園の北手にありました。親方のお兄さんもジュエリーに携わる仕事をされており東陽商事という会社で今も営まれているそうです。
 
私が丁稚だった頃から売るのだけではなく修理加工の仕事も承っておりました。当時も修理加工などを請け負っている店は少なく修理させていただくとお客様に本当に喜んでいただけました。

 どうして修理加工などを受けられる店が少ないのかといいますと、ジュエリーはハンドメイドで一点物が多く、また宝石、構造、加工法、金属の種類によってどこに危険が潜んでいるのか熟練しないとわからないことが多くそれに販売することに比べると危険が高いわりに儲からないからではないでしょうか?
 
 それと、失敗してしまうととても怒られます(笑)

 

井原一成

松永佳子

 こんにちは。じゅえりーいはらの職人、井原一成です。

 

主に、WAX,,錺職、修理をしています。
 お客様のジュエリーにまつわるお悩みを、解決するべく 努力しております。

 どうぞ、お気軽にご相談下さい。
 
 物を造るということは、腕も関係しますが、やはり、お客様のコミュニケーションが大切です。それは、職人仲間で一緒に仕事するときもそう、ジュエリーというと、一人で1個1個作っていると思われがちですが、少なくて2人、多いと5人以上の職人の手を経て1個のジュエリーを作るのです。
 
 お客様も含めた全ての人が上手くコミュニケーションが出来ないと良い物は出来ないと思う今日この頃です。  

 井原一成プロフィール

1974年生まれ みずがめ座 A型
大阪市立 喜連小学校卒
大阪市立喜連中学校卒
大阪府立東住吉高校卒
大阪芸術大学卒 

東大阪市在住 妻・長女(小学4年)

WAX・錺職人 米澤孝生さん
錺職人 内堀淳二
地金取扱 分析精錬 幸前成一

WAX・錺職人 米澤孝生さん

錺職人 内堀淳二

地金取扱 分析精錬 幸前成一

お客様の声
彫り職人 福永雄久

彫り職人 福永雄久

ジュエリーの匠たち

事務を担当しております。
松永です。

趣味は刺繍・陶芸・ちりめん細工です。

ネックレスの糸替え・ホームページ製作を担当しております。
芳です。

じゅえりーいはらと専門家達です

ジュエリーの匠たちへGO

修理のことなら何でもござれ。
日本中から無理難題の修理依頼が
舞い込んできます

.

地金の幸前です。
イエローゴールド・ピンクドールド・ホワイトゴーリド
また その中にも
四分六 六四 五分五分など
同じように見えても硬さや軟らかさの違う地金があります。
そんな地菌を合わせるのが私の仕事です。

彫り留・石留の福永です。
石留めは、ジュエリーの仕上がりを左右する重要な工程で石留の職人の腕の良し悪しでジュエリーの出来上がりが左右されると言っても過言ではありません。

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宝石・ジュエリー修理メニュー

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Eメール

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 5歳の頃平野区に引っ越しし、母が美容室を開店する。年末などは朝早くから夜中まで本当によく働く母親で、料理も上手く家事もきちんとこなしていた。

 
 大阪市立喜連小学校に入学手伝いでパーマのロットを洗うのがイヤでしょうがなかった。急いで遊びに出かけようとして店の入り口のガラス戸に飛び込みアゴを7針縫う大けがをする。その傷は今でも残る。

 
 楽しい少年野球に明け暮れた小学校時代。

少年野球と同じつもりで入部した中学校の野球部。先輩の世話をするのが納得できず反抗し、しごきまくられ1年で退部。自由な校風の東住吉高校に憧れ「人に出来て俺に出来ないわけがない。」と落ちこぼれから猛勉強のすえ合格。定期テストで85点取ったときの英語教師の驚きの顔が忘れられない。

 
 憧れの高校に入学するも、勉強について行けず授業中もひたすら読書の日々が続く。放課後は父の店でアルバイトするようになる。日当は
11000円。。。お金がもらえるのが嬉しく喜んで行ってました。


 大阪芸術大学進学を決意。

漠然と父がたずさわるジュエリーの世界に進みたいと考え、デザインを勉強するために大阪芸術大学に進学。必死で身に着けたデッサン力(観察力)が現在の仕事に大いに役立つ。


 卒業後迷うことなくじゅえりーいはらに就職。門前の小僧式に仕事を憶える。

父は仕事を教えてくれない。言われることは、行け!やれ!のみ。あとは自分で考えろと。

とにかく、行動しろとたたき込まれる。即実践!!行動派のルーツはこの教育方針にあるかも??


 工具店のつてで宝石職人組合技稜会に入会し、現代の名工丸川隆英氏なにわの名工多田孝之氏に出会い最高峰の宝石職人達の仕事に触発されジュエリー加工技術に磨きをかける。

 
 ジュエリーを製作・修理・加工・販売してお客様の喜びを知ると同時にお客さんの「タンスの肥やし」という声を聞くたびに心が痛んでいました。流行、世代が変わるとデザイン、嗜好は変わるものです。ジュエリーは親子
3代受け継いでいけるものです。女性に笑顔で毎日を過ごしていただきたい。斉藤ひとりさんいわく宝飾品オシャレは女性にとってなくてはならないものなのです。

 
 地元大阪のみならず、全国の宝石で悩むお客様の悩みを解決し、今までに
8696点ものジュエリーを美しく蘇らせ東大阪地域一番店となり「作って、直せる、宝石屋さん。」と呼ばれその活動がよみうりテレビ大阪ほんわかテレビなど、マスコミに大きく取り上げられた。

 

 
 私生活で熱中していることは体を動かすこと。

フルマラソンのトレーニングで月間走行距離は300キロを超える。

今年こそフルマラソンでサブスリー達成を目指す。ベストタイムは3:02:30

達成できたら、100キロウルトラマラソンに挑戦予定。

走る合間に登山を楽しんでいます。

 販売することは非常に景気に左右されますが、修理加工は比較的安定してお仕事をいただけます。不況風吹き荒れる中もジュエリーの商売を続けさせていただいていけるのもお客様はもちろん親方のおかげかなぁと考えたりします。
 
 今のようにコンパクトでハイパワーな酸素バーナーやレーザー加工のように便利な道具はなく、加工方法を教えあえるような人脈もなく手探り状態での仕事が多かったです。今から思えば未熟だったと思います。昔、手がけた品物を20数年ぶりにお持ちいただいた時などだまってはいますが相当手直しさせていただくこともあります。(笑)
 
 宝石というものは永遠性のあるものです。買われたときの価値もさることながらその宝石と過ごした時間が長ければ長いほどお客様の宝石に対する価値が増していくようです。そしてその宝石は子へと孫へと受継がれてゆく。その過程において修理、加工はなくてはならないものです。

 たとえ人工石のキュービックジルコニアだったとしてもお客様にとって大切な宝石です。宝石とは何万年何億年という長い歳月をかけて地球が育んだ宝物であると同時に、お客様の手もとで長い歳月を経て想い出という付加価値を育んでゆくものです。
 
 宝石というものは人生の節目で手に入れらる、もしくは受継がれてゆくものです。誕生日、結婚、出産、入学、卒業、就職、成人と想い出となるものです。使えば手入れが必要なのは当たり前のことです。
「修理、加工、手入れ、リフォームさせていただくことは宝石商として当たり前のことである。」と親方から教えられました。他のお店で買われた物でも、外国で買われた物でも出来そうなものは一生懸命努力します。出来なかったらごめんなさい。どうぞお気軽にご相談下さいませ。

 じゅえりーいはらは、「作って、直せる、宝石屋さん。」として、自分の店で売ったものだけでなくお客様のお役に立てる宝石店でありたいとの考えの基に経営しております。ジュエリーとは、お客様と宝石が一緒に過ごした時間、想い出がつまっているもの。

 修理、加工、リフォームをお客様からいただくことによって、店のスタッフ、職人、ひいては店がレベルアップしていくのだなと実感しております。

 簡単に修理といいますが、ジュエリーというのもは、ひとつひとつがオリジナル、同じデザインでも石が違うだけで加工の方法が全然違います。

 みんなで力を合わせてお客様の願いを叶える。そういう姿勢での取り組みがスタッフ1人1人がプロとして成長し、その道をすこしずつ深めていくと信じております。

昭和22年7月生まれ いのしし年 しし座 O型
布施市立弥刀小学校卒
布施市立第3中学校卒
大阪府立山本高校卒
立命館大学卒
  娘1人 息子1人 孫1人
 趣味:ピアノ・エアロビクス・読書

うちのおかんと娘のみづきです。

こんにちは。じゅえりーいはらの井原一成です。
ウチのオカンの話をします。

 オカンはついこの9月いっぱいまで平野でパーマ屋をやっておりました。37才の私が5才のころからしてましたので32年やっていました。それまでは長瀬駅前のローズという美容室で働いていたそうです。(当時は駅前に映画館がありました。)
そこで働いていた頃パーマ液などの材料屋さんで寿町の松代商店さんの紹介でやめたパーマ屋さんをそのまま引き継いで縁もゆかりもない平野でパーマ屋をはじめたのです。
 オカンに向かってはまだ、オカンとはよう呼びませんが、小さいときはちゃんとお母さんと呼んでいました。子供が生まれてからはおばあちゃんとか、イソエちゃんとか呼んでいます。ここではオカンと呼んだほうがいいかなと思いそう呼ばせてもらいます。

 幼いころは家で商売をしていることをあまりええように思っていませんでした。なぜかいというと家には入り口がひとつしかなく家に入るときも出るときもオカンの横を通りお客さんの横を通らないといけなかったのです。当たり前のことですが、挨拶をしないで通ると怒られました。心に後ろめたいことがあると、オカンの横を通る時にカニ歩きになりよく悪事を摘発されました。

 

昔のパーマ屋は年末になると休みもなく本当に忙しく大晦日などは年を越すころまで仕事をしていました。パーマ屋はなんちゅう大変な仕事やと思いました。
このオカンを見て育った妹は公務員として岸和田の中学校で働いています。今は産休をとり新春には女の子が生まれるそうです。そういえばこの妹が生まれるその日もオカンは店でパーマをしていました。大きな紙袋を持たされてオカンと病院に行ったのを憶えています。

 どんくさい私はオカンから逃げればいいものをよくオカンにつかまり手伝わされました。パーマで使うロットを洗えとか、ペーパーを広げろとか、タオルを脱水機にかけろとか、床の髪の毛をはけ、晩御飯のコロッケを買いに行けとか手伝わされました。
とくに8才年の離れた妹を保育園に迎えに行かされました。
そして次の日には学校で「子連れオオカミ」と呼ばれるようになりました。忙しくしていた割には質素な生活でした。そのうちオヤジも店を出し じゅえりーいはらを始めました。
うちのオヤジはオカンが店に来ると必ず「商品の半分はお前のもんや。好きなもん持って帰り。」とこう言われると持って帰りにくいようで(笑)売れ残りを3つしか持って帰っていません。あまり昔のことは話してくれませんがオカンのおかげで今店があるんかな〜と思います。
 家で商売していると引っ越しするわけにはいきません。子供心に友達は自分の部屋がある普通の家やのになんで俺はぼろい家で自分の部屋もないのかと思ったものです。

 オカンがパーマ屋をやめるにあたっては誰も何も言いませんでした。「そうか。」てなもんです。
小さい店ではあるけれど、それほど忙しいわけではないけれど、女ひとりだけで商売をし続けるのは大変なことだった思います。普段は一見大人しそうですが怒らすと一気に沸騰して非常に怖く3回くらいしか本気で怒らせたことはないと思います。
 オカンは兵庫県浜坂の出身で地元中学卒業後、京都に出て美容師見習いで住み込みで働きながら学校に行かせてもらいその京都でオヤジと出会ったそうです。その当時からオヤジはナンパの達人だったのでしょう。



 なかなか面と向かってはよう言いませんが長い間お疲れ様でした。じゅえりー通信に載せるとそのうちオカンもこれを読むことでしょう。
 私が結婚して家庭をもって子供をもって思うことはウチのオカンは精一杯ガンバっとったんやなあと思います。
 自分のオカンには面と向かってよう言わんので読んでくださっているたくさんのオカンに息子さん娘さんの代わりにありがとうございますと言わしてもらいます。
おかあさん。ありがとうございますお疲れ様でした。
うちのオカンは今は初めての主婦業を楽しんでおりますがそのうち退屈して店に出てくることもあるかもしれません。その時はこの人が元パーマ屋のオカンやなと思ってください。
宝石の悩みには答えられませんが、髪の悩みにはある程度こたえられると思います。
最後まで読んでくださいましてありがとうございます。

布施はこんなところ

1月9日〜11日は
布施戎神社の祭りです。

祭りの日にはだんじりも通ります。